東京大学発祥の地

東京大学発祥の地(1)

 竹橋から神保町へと向かっている最中に、学士会館(東京都千代田区)の前に「東京大学発祥の地」の石碑がありました。

 五代将軍綱吉は、現在の神田錦町、一ツ橋一帯に広大な密教の大寺院「筑波山護持院元禄寺」を建立しました。護持院が享保2年(1717)正月の大火で焼失した跡地が「火除地」となり、護持院ケ原と呼ばれました。この広大な空き地は将軍の猟場として使用されていましたが、一般にも解放され庶民の憩いの場になっていました。
 その護持ケ原に文久2年(1862)蕃書調所が洋学調所と改称して当地に移り、翌3年開成所と改め、明治2年(1869)大学南校となりました。さらに6年開成学校、7年東京開成学校と改め、明治10年神田和泉町から本郷元富士町に移転していた東京医学校が合併し, 東京大学が創立されたそうです。
 明治初頭、護持院ケ原は、東京大学の他、東京外国語大学、学習院、一橋大学の発祥の地になっています。
 後に、こうした学生を相手に書店ができ、世界に類のない神保町書店街が形成されたそうです。また、それに関わる出版、印刷、製本業発展する一方、私立大学の集積も進み教育・文化の中心地となりました。
 戦後、学生の街となった神保町・駿河台一帯の若者達をタ-ゲットにしてスポ-ツ用品店や楽器店も軒を並べるようになったということみたいです。
(2014年7月21日現在)

東京大学発祥の地(2)

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