紀元二千六百年記念 日本万国博覧会事務局棟跡

 晴海(東京都中央区)で「紀元二千六百年記念 日本万国博覧会事務局棟跡」がありました。
(2018年10月15日現在)

紀元二千六百年記念 日本万国博覧会事務局棟跡
所在地 中央区晴海三丁目三・九番地域

 この地域には、昭和15年(1940)に日本を会場とする初の万国博覧会(紀元二千六百年記念日本万国博覧会)の開催に向けて建設した万博事務局棟がありました。
 紀元二千六百年記念日本万博の会場予定地は、京橋区晴海町の月島第四号埋立地(現在の中央区晴海)と深川区豊洲の月島第五号埋立地(現在の江東区豊洲)を主会場とする150万平方mの広大な敷地でした。
 この万博は、昭和15年3月15日から8月31日までの170日間で、4,500万人の来場を見込んだ国家的プロジェクトでしたが、戦争の激化や参加国の減少により、開催直前に延期されたため「幻の万博」といわれています。
 万博事務局棟は、昭和13年(1938)9月、開催に先立って会場予定地に建設された最初の建物でした。施工は株式会社大林組が担当し、木造2階建、間口約102m、奥行約40mの日本建築で、延べ面積約5,485平方mもある事務局庁舎でした。
 しかし、建物の竣工と同年に万博の開催延期が決定されたため、陸軍の傷病兵収容所(東京第一陸軍病院月島分院)へと転用されました。昭和15年に完成した万博のメインゲート・勝鬨橋の開橋式では、当院で療養中の兵士がくぐり初めを行ったエピソードも残されています。
 豪壮な万博建築として竣工した事務局棟は、昭和期の度重なる戦禍の中でその姿を消しました。

平成24年3月
中央区教育委員会