中猿楽町

 神保町(東京都千代田区)で千代田区町名由来板中猿楽町」を見かけました。

「千代田区町名由来板 中猿楽町

 ここはかつて中猿楽町と呼ばれていました。
 室町時代以降、猿楽(のちの能楽)は、多くの武士たちに楽しまれるようになりました。なかでも観阿弥・世阿弥の流れを受け継ぐ「観世座」は、江戸幕府から手厚い保護を受けていました。その家元観世太夫や一座の人々の屋敷が、現在の神田神保町一~二丁目から西神田一~二丁目のあたりにあったことから、この一帯に「猿楽町」という名が生まれました。
 この界隈は江戸時代、おもに武家屋敷が軒を連ねていました。もともと武家地には町名が付けられていなかったため、「中猿楽町」という町名が正式に誕生したのは、明治五年(1872)のことになります。
 ところで町内には、大正三年(1914)、中国の留学生が日本国内で進学する際、欠かすことのできない日本語や英語、数学などを専門に教える東亜高等予備学校が設置されました。中華人民共和国成立後、国務院総理(首相)を務めた周恩来も、大正六年(1917)から約二年間、この学校で学んでいます。中猿楽町はその後、昭和九年(1934)、神保町二丁目と西神田一丁目の一部に組み込まれました。この地域の町会は、その名に「中猿」を遺し、神田中猿町会と名乗っていましたが、昭和二十九年(1954)四月、神保町と西神田の町名から「神西町会」と改めて、現在に至っています。」

(2016年6月18日現在)