下町まちしるべ「旧 下谷町」

下町まちしるべ「旧 下谷町」1

 上野アメヤ横丁(東京都台東区)で、下町まちしるべ旧 下谷町」を見かけました。

「下町まちしるべ 旧 下谷町

 寛永元年(1624)藤堂高虎の屋敷が上野台にあったことから、天海僧正が江戸城鎮護のため建立を思いたったおり寄進され「花の山、昔は虎のすみかなり」と詠まれている。
 「金銀の寺より光る寛永寺」が徳川家の庇護のもとに完成すると山下にあった下谷村は門前町として上野広小路、下谷町一丁目、二丁目と称し商人の町として栄え、江戸文化の中心となり、以来370年の歴史を誇る庶民の町として現存している。しかし、昭和39年10月の住居表示で上野六丁目に変更された。
 町名の由来は、この付近が江戸時代以前から下谷村と言われ、町として最も早くできたことにちなんでいる。
 「アメ横」は、戦後すぐにできた我が国初めての輸入商品を主体に扱う商店街である。その多様さ、目新しさで多くのお客が来ている。また年末の売り出し風景は全国にも紹介され、歳末の風物詩にもなっている。」

(2016年6月26日現在)

下町まちしるべ「旧 下谷町」2