金澤町(千代田区町名由来板)

 秋葉原で、千代田区町名由来板金澤町」(東京都千代田区)を見かけました。

金澤町

 ここはかつて金澤町と呼ばれていました。町名の由来は、江戸時代の初めころにさかのぼります。江戸の大半を焼き尽くした明暦3年(1657)の大火(振袖火事)を機に、幕府は江戸の都市計画を見直します。
 その製作のひとつとして打ち出されたのが、大名に、屋敷を上屋敷・中屋敷・下屋敷に分けさせるというものでした。上屋敷とは大名の公邸で、藩主とその妻が生活する屋敷のことです。また、中屋敷は跡継ぎや前藩主の屋敷、下屋敷は別荘などとして使われていた屋敷を指します。
 大名のなかでも最大の石高をほこる加賀藩の前田家は、神田神社近くに上屋敷を拝領しました。加賀藩は、城主の居城が金沢にあったことから「金澤藩」ともいわれていました。つまり、神田神社近くの外神田三丁目に「金澤」という町名が伝わるのは、かつて加賀藩の藩邸があったことの名残なのです。
 前田家の上屋敷は、天和2年(1682)の火事で類焼し、幕府に没収されます。その翌年になると、湯島一丁目の職人や商人たちがそこに代地を与えられて移転してきましたが、金澤という町名はそのまま受け継がれていきました。
 武家屋敷のあった金澤町ですが、のちに商人や職人の町として発展を続けます。町内には多種多様な店があったようで、文政7年(1824)に書かれた『江戸買物独案内』には、「やけど妙薬」で知られた田村万兵衛、鼻紙袋や煙草入れを扱う津久田屋、瀬戸物問屋である玉川卯兵衛といった商人たちの名前が記載されています。

外神田三丁目金澤会

(2016年11月30日現在)