柳原土手跡

 秋葉原(東京都千代田区)で「柳原土手跡」を見かけました。

 『江戸名勝志』に“柳原土手西は筋違橋(元の万世橋)より東は浅草橋迄の間、長さ十丁余(約1.1km)つづけり。柳樹多くあり”とあり、昔このあたりは土手で柳の並木がありました。『柳森神社記』によると長禄2年(1458)太田道灌が江戸城の鬼門よけに、柳を植えさせたとあります。又享保(1716~35)のはじめ将軍吉宗が昔の柳が枯れて柳原土手の名だけになっていたので植えさせたのだともいいます。
 昔は町屋が土手の南側下まで並んでいたので、土手上を人は通行していました。寛政6年(1794)幕府は土手沿いの人家を取りはらい日除地とし、この明地にその後老中松平定信は、凶災に備えてお救い米を貯蔵する籾蔵を建てました。安政3年(1856)この籾蔵は葛飾郡小菅村に移されたため翌年夏よりこの跡地に又町家ができました。柳森稲荷(柳森神社)は土手下にあって元禄8年(1695)はじめて社が完成し繁昌したといいます。故に稲荷河岸とも呼ばれていました。関東大震災(1923)で社殿は焼失しましたが再建され境内に力石などが残っています。又土手は昔、葭簀張の古着屋、小道具屋が店雄並べていたそうです。明治6年(1873)土手は崩されました。

平成元年 3月
千代田区教育委員会

(2017年3月1日現在)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする