国指定史跡小田原城址「二の丸東堀」

2017年5月6日(土)、小田原城(神奈川県小田原市)に行ってきました。
国指定史跡小田原城址二の丸東堀」を見かけました。

国指定史跡小田原城址 二の丸東堀
指定日 昭和13年8月8日

 小田原城は、江戸幕府の三代将軍家光の乳母、春日局の子稲葉正勝が寛永9年(1632)城主になると、大規模な工事が行われ、石垣を備える近世城郭として整備されました。
 二の丸東堀は、本丸・二の丸を守る堀の中でもっともおおきなもので、幅は最大約40mあり、現在よりもさらに北に約60m先まで続いていました。また、西は常盤木門、南は南曲輪の前までつながっていました。
 現在の石垣は、大正12年(1923)の関東大震災で崩れたものを昭和初期に復旧したものですが、右の写真のとおり、江戸時代の石垣は今のものよりも高く、二の丸の石垣として威厳のある姿を見せていました。
 なお、震災力後、一時この堀を埋め立てる計画がありましたが、小田原保勝会が中心となって保存運動を起し、その結果二の丸東堀は、今日までその姿を残すことができました。

小田原市教育委員会

(2017年5月6日現在)