武石浩玻像

武石浩玻像

 茨城県水戸市にある茨城県立第一高等学校に、武石浩玻像がありました。
 武石浩玻(本名:道之介、1884~1913年)は、民間パイロットとして最初に日本の空を飛んだ人物。茨城県那珂郡勝倉村(現:ひたちなか市勝倉)に生まれ、明治35年茨城県立水戸中学校卒業後、新天地アメリカに渡った。同41年フランス人飛行士ルイ・ポーランの飛行に魅せられ、飛行機に人生の望みを託すようになった浩玻は、飛行機に関する研究に没頭し、『飛行機全書』を執筆、同45年にはカーチス飛行学校に入学し、訓練の後、万国飛行免状を取得した。
 大正2年4月、祖国の空を飛びたいという希望を抱いて11年ぶりに帰国し、大阪朝日新聞社と都市連絡飛行の契約を結んだ。同年5月3日、鳴尾での旋回飛行に成句するが、翌4日の鳴尾―大阪―京都間の都志連絡飛行に挑み、京都深草練兵場に着陸する寸前、地上に激突して絶命した。享年28歳。民間飛行家として最初の犠牲者でもあった。1903年にライト兄弟が飛行機を発明してから10年目の出来事だった。
 同年末、菊池謙二郎校長らが発起人となって本校に飛行服姿の武石浩玻像が建立されたが、平成23年3月11日の東日本大震災で崩壊したので、今般全面修復し、移設した。
(2014年9月26日現在)

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