礫川公園で

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 東京大学周辺を歩いていたら、礫川公園(東京都文京区)見かけたもの。

 上の写真は「童謡「ちいさい秋みつけた」とはぜの木」(礫川公園 春日一丁目15)

 童謡の名作を数多く残したサトウハチロー(1903~1973年)は、昭和12年(1937年)秋、上野・桜木町から向ヶ岡弥生町に転居した。家の庭には、はぜの木が植えられ、仕事部屋からよく見えた。童謡「ちいさい秋みつけた」は、深紅に染まったはぜの枝葉を眺め作詞された。昭和30年(1955年)秋のことである。
 ハチローの没後、旧宅は記念館に改装され、遺稿や愛用品が展示されたが、平成7年(1995年)館は閉鎖され、平成8年(1996年)記念館は北上市に新設された。
 その後、残された“はぜの木”は木の延命を図るため5本の枝を残し、切り株状にして平成13年(2001年)10月、この地に移植された。樹齢約70年、毎年深紅の枝葉が“ちいさい秋”を語り伝えてくれる。

 下の写真は「幸田文ゆかりの「ハンカチの木」」(礫川公園 春日一丁目15)

 「ハンカチの木」は、19世紀中頃中国に滞在したフランス人宣教師アルマン・ダビットによって、四川省の西境で発見され、発見者にちなんでダヴィディアと命名された。白い花びらのように見えるように部分は、大小たれさがった苞であり、これがあたかもハンカチを広げたように見えることから和名「ハンカチノキ」と名づけられた。なお、別名「ハトノキ」とも呼ばれる。
 一科一属一種といわれている珍しい木で、落葉高木、花は雌雄同株の丸い花序で、白い苞片に守られているように見える。4~5月に花をつけ、5月初旬が見頃である。
 作家の幸田文(1904~1990年)が小石川植物園の山中寅文(東京大学農学部技術専門員)から譲りうけたこの「ハンカチの木」は、長女で随筆家の青木玉の庭に仮り植えされていたものである。平成14年(2002年)12月、多くの方々に見ていただきたいという青木玉の好意により、ここ礫川公園に移植された。
 平成16年(2004年)は幸田文生誕100年にあたる。

(2015年2月21日現在)

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