人形町由来と案内

 人形町(東京都中央区)で人形町の由来と案内板を見かけました。

人形町の由来

江戸が開府され20年ほど過ぎ、現在の人形町交差点北側一帯には江戸唯一の歓楽街が在り大変な賑わいでした。大芝居の中村座と市村座の江戸二座では歌舞伎が上演され、また人形操り芝居、浄瑠璃芝居、見世物小屋が軒を並べ、それに携わる多くの人形師達がこの町に住んでいたことから、江戸時代より俗に「人形丁通り」と呼ばれ後に町名となりました。正式に「人形町」という町名がついたのは関東大震災以降の区画整理で昭和8年になってからです。

名所・旧跡案内

玄冶店跡

 「玄次店」の地名は、江戸時代、京都の医者で、将軍秀忠の医官として隔年に江戸に下った岡本玄冶(1587~1645)が住んだことに由来し、歌舞伎「与話情浮名横櫛」の舞台となる。
日本橋人形町3-8

鉄造菩薩頭

 総高170cm、面幅54cmの鋳鉄製。鎌倉の新清水寺に存した観音像であったが火災に遭い、頭部のみ掘り出されたのち明治9年現在地に安置された。関東特有の鉄仏の中でも優秀な遺品。
日本橋人形町1-18-9

(2016年6月26日現在)