石川雅望墓

 蔵前(東京都台東区)で、東京都指定旧跡石川雅望墓」を見かけました。

東京都指定旧跡 石川雅望墓

所在地 台東区蔵前三の二二の九
    榧寺(正覚寺)墓地内
仮指定 大正十三年二月五日
指定 昭和三○年三月二八日

 石川雅望(1753-1830)は江戸後期の国学者、狂歌師です。旅館糟屋七兵衛こと浮世絵師石川豊信の子として生まれ、六樹園、五老斎などと号しました。国学を津村淙庵、狂歌を太田南畝らに学び、狂名を宿屋飯盛といいました。天明年間に狂歌檀に台頭し、狂歌四天王に数えられます。寛政3年、宿屋経営に関連して江戸を一時はなれますが、このころ、国学に務め源註余滴」や「雅言集覧」を著します。文化期には狂歌檀に復帰し、文化文政時代の狂歌界を鹿津部真顔と二分する勢力となります。真顔の俳諧歌体に対して俗情俗語の狂歌の軽妙さを主張しました。「(百人一首)古今狂歌袋」などの狂歌絵本や「万代狂歌集」などの狂歌撰集の他「草まくら」などの紀行文もあります。

(2016年6月26日現在)