江戸幕府400年「岩本町三丁目」

 秋葉原周辺を歩いていた時、江戸幕府400年岩本町三丁目」(東京都千代田区)を見かけました。

 江戸時代、この界隈を流れる神田川の土手は、柳並木があったことから「柳原土手」と呼ばれていました。岩本町周辺は、江戸城から見れば鬼門(北東方向)にあたります。柳森神社(現・神田須田町二丁目」の杜伝によれば、太田道灌が鬼門除けに稲荷を祀り、柳を植えたのが始まりといわれています。
 そんな柳原土手に沿った地域に最初に住んだのは、大名や旗本などの武士たちでした。江戸時代の後半になると、商人や職人で町も栄えはじめます。さらに土手の周辺では、古着を扱う露店が集まるようになりました。
 その伝統は、明治維新後も引き継がれました。明治14年(1881)、現在の岩本町三丁目の一部から神田岩本町の一部にまたがる大市場が開設されます。「岩本町古着市場」と呼ばれたこの市場には、多いときには四百軒もの古着屋が軒を連ねていたと伝わっています。さらに昭和に入ると、町内には四階建てのビルまで登場し、「和泉橋ダンスホール」が併設されました。
 このように洒落て小粋な雰囲気を醸していた戦前の岩本町ですが、太平洋戦争末期には空襲によって跡形もなく焼き尽くされていまいました。それでも戦後、この地は「服の町」としてよみがえります。紳士服や婦人服の製造を手がける繊維メーカーが集まってきて、この町でつくられた洋服が全国のデパートのショーウインドーを飾るようになりました。
 現在、数こそ減ってきましたが、岩本町三丁目をささえ、町の礎を築いてきたのは、こうした繊維業者です。日本の繊維産業とともに発展してきた町、それが岩本町三丁目なのです。

 岩本町三丁目町会

(2017年1月25日現在)