史跡小田原城跡「馬出門桝形」

2017年5月6日(土)、小田原城(神奈川県小田原市)に行ってきました。
史跡小田原城跡馬出門桝形」を見かけました。

史跡小田原城跡  馬出門桝形

 国指定史跡小田原城跡は、昭和58年から本格的な史跡整備事業に着手し、現在、二の丸から本丸へと至る大手筋の歴史的景観の復元整備を進めています。
 馬出門桝形は、二の丸正面に位置する重要な門で、江戸時代の初期からこの場所に存在したと考えられますが、寛文12年(1672)に現在の姿に作り変えられたものです。
 馬出門の整備事業は、平成15・16年度に発掘調査を行い、整備計画を立案し、平成17・18年度に石垣復元工事を、平成19・20年度で桝形の門と土塀の復元工事を行いました。

馬出門桝形の概要
 馬出門桝形は馬出門と内冠木門の二つの門と周囲を土塀で囲まれた範囲をいいます。二つの門は控柱にそれぞれ屋根がつく「高麗門形式」の門です。

馬出門 高さ約6.3m 幅約4.7m
内冠木門 高さ約5.3m 幅約3.6m
土塀 高さ約2.7m 地上高約4.3m 延長約88m

馬出門の発掘と整備計画
 発掘調査により桝形石垣の根石(基礎石)が見つかったことで、正しい門の位置が明らかになりました。これらの発掘の成果と絵図などの史料の検討を行い、復元整備計画が立てられました。

石垣工事
 石垣は安山石という硬い石を使っています。門の南側は真鶴で産出する「小松石」を使い、北側は角石を除き石垣山一夜城近くで発見された、「早川石丁場」で出土した石を使いました。

門・土塀工事
 馬出門と内冠木門は、柱や扉は「ケヤキ」、土塀の控柱は「クリ」、土塀などの柱などは「ヒノキ」が使われています。
 土塀は、伝統的な工法により作られており、荒壁塗りから仕上げの漆喰塗りまで7~8回も塗っては乾かすという、大変手間がかかる工程を経て仕上げられています。
 門や土塀に葺かれた瓦は、発掘で出土した江戸時代の瓦を忠実に復元したものが使われています。

史跡小田原城跡本丸・二の丸整備基本構想
小田原市では、国の指定史跡である小田原城跡を永久に保存し、後世に伝えるとともに、歴史的資産として活用を図ることを目的に、平成5年に「史跡小田原城跡本丸・二の丸整備基本構想」を策定しました。
馬出門桝形などの整備は、この構想に基づき進められています。

宮内庁図に描かれた馬屋曲輪
元禄時代(1700年頃)の小田原城の姿を伝えた絵図です。この頃は馬屋曲輪に馬屋と大腰掛の二つの建物と二重櫓が建っていました。元禄16年(1703)の元禄地震の際にこれらの建物は焼失してしまい、その後は再建されないまま明治時代を迎えたものと考えられています。

馬出門の発掘調査
馬出門の発掘では、明治34年(1901)に設置された御用邸時代の石垣の位置や江戸時代の石垣、門の礎石や礎石の抜き取り穴が確認されました。
絵図との照合などから精確な江戸時代の馬出門の姿がわかり、整備計画が立てられました。

土塀の構造
馬出門桝形の土塀は、柱と柱の間に竹小舞を組み、藁縄を巻きつけたものに、土壁が塗られ作られています。仕上げの漆喰には、石灰に麻の繊維である「スサ」や牡蠣殻をすりつぶしたものを銀杏草という海草から作った糊で混ぜ合わせたものが塗られています。土塀の工事は約8ヶ月と馬出門の工事で最も時間を要しました。

平成21年3月29日 小田原市教育委員会

(2017年5月6日現在)