紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡

 赤坂見附周辺の紀尾井町で、「紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡」(東京都千代田区)がありました。

紀伊和歌山藩徳川家屋敷跡

 この一帯には、江戸時代に紀伊和歌山藩徳川家の麹町邸がありました。明暦3年(1657)の大火の後、この地を拝領しました。
 紀伊徳川家は、徳川家康の十男頼宣は、慶長8年(1603)常陸水戸藩主、ついで慶長14年(1609)駿河府中藩主を経て、元和5年(1619)に紀伊和歌山藩主となり、紀伊国と伊勢国の一部を領地としました。紀伊徳川家は、以後、14代にわたって明治維新まで続きましたが、その中で、8代将軍吉宗と14代将軍家茂は、藩主から将軍の座についています。石高は、ほぼ55万5000石でした。
 明治5年、この地域は紀伊徳川家・尾張徳川家・井伊家の頭文字を合わせて、「紀尾井町」という長命になりました。