摩利支天と小田原城

2017年5月6日(土)、小田原城(神奈川県小田原市)に行ってきました。
天守閣最上階で「摩利支天と小田原城」を見かけました。

「摩利支天と小田原城

小田原城天守最上階には、武士の守り本尊として信仰された摩利支天像が安置されていました。大久保忠朝が貞享3年(1686)に佐倉藩(佐倉市)から小田原藩に復帰した際に、天守に祀ったとされてます。「御天守摩利支天」と呼ばれ、元禄16年(1703)の地震において焼失をまぬがれたことから、更に尊崇を集めました。摩利支天像は、明治3年(1870)に天守が取り壊された際に、永久寺(現小田原市城山)に移されましたが、昭和35年(1960)に天守閣が復興された際に返還されました。

小田原城天守模型の調査
小田原市から委託を受けた小田原城天守模型等調査団(団長・西和夫神奈川大学名誉教授)は、3基の小田原城天守模型と絵図等の関連資料の調査を行いました。その結果、天守最上階に、摩利支天を含む天守七尊が安置されていた空間の詳細が明らかになりました。そこで天守閣耐震改修に際して、この摩利支天像が安置されていた空間を再現することとなりました。

市民による摩利支天安置空間再現
摩利支天安置空間の再現にあたっては、かつての小田原藩有林などを中心とした小田原産材が用いられ、その多くは市民の寄付によりまかなわれました。切り出しや運搬、加工にも多くの市民が協力し、古建築についての知識と経験を活かした棟梁を中心に、小田原の職人が施工しました。小田原の木に関わる多くの人の力が結集し、平成28年(2016)、明治3年(1870)の廃城以来146年を経て、かつての小田原城天守最上階の姿がよみがえりました。」

(2017年5月6日現在)