「江戸川橋」駅(東京都文京区)を出たところで、旧町名案内「旧 関口水道町」の説明板を見かけました。
「旧 関口水道町(昭和41年までの町名)
むかし、関口村の内であった。鷹匠細田加右衛門他2名の知行所であったが、延宝年間(1673~81)以前から村方町屋となった。
貞享2年(1685)町屋が許され、町奉行・代官両支配となった。そして、武蔵国豊島郡関口水道町となる。
明治5年、造平司(江戸末からの大砲製造所―明治2年政府の東京関口製造所と改称、同3年竹橋内吹上に移転、砲兵工廠の前進)で武家屋敷地その他を併せた。
江戸時代に水番所があり、大洗堰の神田上水の水門の差蓋揚卸の役を勤めていた。上水の管理運営にあたる人が住んでいたので、水道町の町名ができたといわれる。」
(2015年7月29日現在)