京都に行ってきました~東寺~(上)

 当初は京都タワーで観光を終え、福井へと向かう予定でしたが、時間が余ったので「東寺」(京都府京都市)を見に行くことに。

 「東寺」駅を降り、歩くこと約5分、「東寺」はありました。

世界遺産「古都京都の文化財」

 教王護国寺(東寺)は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)で採択された世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約に基づき、「古都京都の文化財」のひとつとして世界遺産リストに登録されました。このことは、人類全体の利益のために保護する価値のある文化遺産として、とくに優れて普遍的価値をもっていることを国際的に認められたことになります。

 教王護国寺(東寺)は平安京造営に際し、国家鎮護のために建立された官寺のひとつです。弘化14年(823)には空海に下賜されて真言密教の道場となり、寺院として本格的な伽藍が整えられました。その後、度重なる内乱等によって焼失しましたが、その都度、時の政権の庇護のもとに再建されてきました。現在は南大門、金堂、講堂、食堂、北大門が南北線上に並び、この東南方には五重塔が、西南方には潅頂院が配されて、創建当時の伽藍配置を伝えており、平安京復元の基準としての意味をもっています。
 金堂(本堂)は慶長8年(1603)に再建されたもので、桃山時代を代表する豪壮雄大な建築です。また五重塔は寛永21年(1644)の再建になるものの、復古的意匠をもつ点に特色がみられるとともに、その高さは現存する塔のなかでは最大で、京都の景観的シンボルとなっています。このほか、弘法大師の住房として建てられた大師堂は、康暦元年(1379)に焼失後翌年に再建され、さらに明徳元年(1390)に大師像を拝する礼堂と廊を増築したものが現存しており、寝殿造りの形式を受け継いで優美な姿をみせています。

 東寺の大きな門はすごかった!

 

 

 五重塔がある庭園へと入ります。

 

 庭園に入ると、不二桜がありました。

不二桜「八重紅枝垂れ桜」

樹齢120年 目通り1.5m 樹高13m 枝張り7m
平成18年2月現在

この桜は「八重紅枝垂れ桜」とよばれ、エドヒガン系の園芸品種で色の濃い八重咲きの華麗な花を咲かせます。移植できるサクラでは国内最大級の大きさで開花は4月中旬です。岩手県盛岡市の旧家で育てられたのですが、平成6年秋田県を経て、三重県鈴鹿市の農園が譲り受けて大切に育てていました。平成18年が弘法大師入唐求法の旅より帰朝さられて、1200年の記念の年であることから、東寺信徒総代で森紙業株式会社最高顧問の森定輝好氏より寄贈され、この直径15mの円形花壇に移植されたものです。名前は弘法大師の「不二のおしえ」から「不二桜」と命名されました。日本一高い五重塔を背景に、百年二百年後も美しい花を咲かせ続けることを祈っています。

 庭園の奥には、五重塔がありました。

 

 東寺の象徴として広くした占めれている五重塔は、天長3年(826)弘法大師の創建着手にはじまりますが、雷火などにあって、焼失すること4回に及んでいます。現在の塔は正保元年(1644)徳川家光の寄進によって竣工した総高55mの、現存する日本の古塔中最高の塔です。
 全体の形もよく、細部の組ものの手法は純和様を守っており、初重内部の彩色も落ち着いて、江戸時代前期の秀作。

 

 

 歴史と伝統が感じられました!

五重塔(国宝)の如来像

南 宝生如来坐像 62.8cm
西 阿弥陀如来坐像 65.1cm
東 阿閦如来坐像 64.8cm
北 不空成就如来 64.8cm

江戸時代 寛永21年(1644)
 五重塔は寛永12年(1635)消失したため、同18年(1641)明正天皇の詔を奉じて、三代将軍家光が大檀那となって寛永20年(1643)より復興がはじめられた。過去に4度消失しており、5度めの塔となるわけである。初層内部は極彩色が施され、中央心柱を大日如来とし、四方柱に金剛界曼荼羅、四面の側柱に八大竜王、四方の壁には真言八祖像が描かれ、これら四如来とともに曼荼羅を形成している。
寺伝では長谷川等竹筆とされている。
 五重塔の初層は、毎年正月三が日だけ一般公開されている。

 

 池などがあり、池と五重のコラボレーションは素晴らしかったです!!

 

 

 

 

(続く)